「倭の五王」/河内春人

 倭の五王 – 王位継承と五世紀の東アジア (中公新書)
 ◎
 聖徳太子よりも前の時代に、讃・珍・済・興・武と名乗る倭の支配者が、あいついで宋へ使者を送っていたという。卑弥呼のことが中国に知られていたくらいだから、もともと交流はあったはずだ。考えてみれば五世紀にも交流があるのは当たり前なのだが、改めて考えてみることがなかったため、全くそんな史実を認識していなかった。
 その五王とは果たして誰(どの天皇)なのか?というのが、日本史分野の未解決問題のようだ。
 本書はこれまでの諸説とは異なり、その考察にあたって中国・朝鮮側の史料を重視し、また当時の東アジアの国際関係を念頭に置いて検討すべきという立場である。まあ国産の記紀はほぼ神話だと思っているので、その態度に私は違和感を持たない。
 日本史の研究者たちは記紀に慣れ親しんでいるがゆえに、そこが思考の出発点になる、という盲点があったのかもしれない。
 

「わたしの名は赤」/オルハン・パムク

 わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)
 わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)
 ◎
 トルコに行く飛行機の中で読もうと選んだ、ノーベル賞作家の本。
 殺人事件が起き、複数の登場人物による一人称語りで物語が進行する。細密画という技芸をめぐる、信仰と西洋文明のせめぎあいが、それぞれの語りから徐々に浮かび上がってくる。
 絵画に関して、写実を至上のものとするならば遠近法の採用は必然であろうし、日本画を含む平面的な様式美は単に写実的でない時代遅れな表現、としかとらえられない。しかし、絵画はあくまで物語の挿絵である、という立場ならば、様式にはそれなりの意味があるわけだ。マンガのコマ割り文法や記号類のように、読解するべきものとして見る必要があるようだ。新たな視点を得られた。
 物語としても面白いし、エキゾチックな舞台設定も楽しめる。
  

「イスタンブールを愛した人々」/松谷浩尚

 イスタンブールを愛した人々 エピソードで綴る激動のトルコ (中公新書)
 ◎
 イスタンブールを訪れる予定があったので、街歩きの下地になるかと思って読んでみた。想像以上に面白かった。
 日本とトルコの親交のもとになったエルトゥールル号の遭難事件はよく知られていると思うが、その義援金をトルコに届けそのまま民間大使のような立場で懸け橋になり続けた山田寅次郎のことは、全く知らなかった。
 他にも、トロツキーやアガサ・クリスティーなど、イスタンブールに縁のあった著名人のエピソードを通じて、トルコの近現代史を紹介するという構成。
 

「若者よ、マルクスを読もう」/内田樹+石川康宏

 若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)
 ○
 内容はマルクスの著作の紹介でもあり、細かい文章表現からその真意を読み取ることであったり、と興味深い。ただ、学者2人の往復書簡、という体裁で、「若者よ」って呼び掛けても、肝心の若者には届かないのではないか?と思われた。
 

「量子コンピューターが本当にすごい」/竹内薫

 量子コンピューターが本当にすごい Google、NASAで実用が始まった“夢の計算機” (PHP新書)
 ◎
 門外漢向けのレベル感がちょうど良い。
 親しみやすさの演出のためか、話し言葉以外の平文で関西弁が多用されるのは、関東人にとっては読みづらかった。著者と、構成の丸山篤史と、編集者が、たまたま全員西の方出身だったのだろうか。
 

「実践機械学習システム」/Willi Richert・Luis Pedro Coelho+斎藤康毅

 実践 機械学習システム
 ○
 Pythonの使い方自体に興味があったのだが、ついていけず。その辺の知識はある人が実際の課題をどう考えたらよいか?という視点だった。
 取り上げられている課題の構造が「高校数学からはじめるディープラーニング」等で話題にしていたのと同じだな、とぼんやり思う。
 

「そこにある山」/角幡唯介

 そこにある山-結婚と冒険について (単行本)
 ◎
 著者は冒険に惹かれる理由を「男は出産を体感することができないので、生を実感するためには死の実感が必要だ」といった考えを提示している。ある種の冒険(死の実感)の際に、あるいは事後に、生を実感することは事実だ。ただ、この考え方では、「そのような本能に基づく行動であるなら、なぜすべての男性が冒険に走らないのか、冒険の分野にも優れた女性がいるのはなぜか」の説明がつかない気がする。
 ともあれ、

結婚とは選択ではなく事態である。

とか、

内的感覚としての自由、それは、冒険におけるこの自律度の高まりと本質的に同じなのではないか

などには共感した。
 〈中動態〉の話も面白い。