赤松小三郎ともう一つの明治維新――テロに葬られた立憲主義の夢
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坂本龍馬の船中八策などよりも前に、立憲民主主義の提案を時の徳川政権に対して提出していたという、信州上田藩士・赤松小三郎。しかも、時代状況はその成立の実現性がかなり高かった(わずかな掛け違えで成立しなかった)、という論証。
著者の同郷人としての赤松に対する思い入れがわかると同時に、少なくとももっと注目されてよい人物であろう、ということは納得できた。
長州レジームから日本を取り戻す
とか、
日本の明治維新研究者は、長い間「プロクルステスの寝台」を実践してきた。
(プロクルステスの寝台=ある学問分野において、正統派とみなされた学説が学会で固定されてしまい、修正することがタブーになってしまうという現象)等と書いてあるので、そこだけ読むと体制寄りの人は「ただのオカルト陰謀説じゃないか」と思いたいかもしれない。しかし、「何もかもが、明治維新のときの長州のせいだ」というのではなく、「何もかもが、明治維新以前に芽生えた立憲民主主義の民意をつぶしたせいだ」と考えれば、ある程度理解できるのではないか。